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脚や化粧品や本のとりとめもない雑記
140文字にも段々飽きてきたので、携帯より備忘録をしたためてみる。アイフォンにはなぜ全角スペースがないのか。

さて本気を出して脚痩せに勤しむことにした。と毎年言ってる気もするがほんとにやるのだ。ほんとにやる! 腹を隠す方法は数あれど脚を隠すにはロングスカートしかなく、誓いでも立ててるわけであるまいし年がら年中ロングスカートというのはいかにもばばくさい。くわえてわたしは長身である。最近は背の高いひとも増えたかもしらんがまだ多分長身の部類でかつヒールも履きたいわたしは、地獄の「スリム縛り」プレイを余儀なくされているのだ、生来。長身の女に「ぽっちゃり」はなく、即「デカイ」になってしまう。そんな恐ろしき固定ステータスを有した難易度高めの今生であるから、もうほんとに本腰をいれてなんとかせねばならんと思ったのだった。スリムでなければ生きられない。なのにこの下半身はわたしの思うものと違う。ああホットパンツ! 水着!サイハイブーツ!!!
そこで『韓流美脚プログラム』なる本である。『愛され脚』シリーズの斎藤さんもすごくよいのだが、この韓流は韓流だけあって大変なスパルタ、1ポーズ5秒キープを7回×3セットという、わけのわからない計算で完全文系の脳をまず苦しめる。しかもこのポーズが25くらいあるのだ。これは素人向けの本じゃねーだろう、韓国のかたというのは国民全員がアイドルをめざしてるんだろか? しかし元来さぼり好きなわたしは「疲れてるときは無理しないで」とか書かれてるとほんとに無理せず永遠にやらないので、このくらいギチギチなほうがよいのかもしれない。
この韓流にくわえて、エア自転車こぎである。これは動き自体は簡単なのであとは回数だけ。100回目標のところ初回は60回だった。これは「やったぜ!」という達成感があるのがよい。しかし結果が出なければ意味がないので過程に悦る必要はない。
最後のしあげにイボイボのローラーみたいので脚をぐりぐり押しまくる。まるでそうすれば押したところが粘土のように引っ込むとでもいうかのように。しかしどうせ最後に勝つのは執念である。高い枝の葉を食べたい一心で首を伸ばしていったきりんのことを考えたほうがよい。そしてわたしというこのホモサピエンスは、たった一代で進化を遂げなくてはならない。

ああ脚が細かったらどんなにすばらしいだろう、とわたしは幾年も思ってきた、かつてきりんが己の首を憂えたように。脚が細いというのはほんとうにすばらしいことである。ホットパンツとかをなんのてらいもなく履けることのすばらしさ! こういう人種が海でビーチバレーとかをするのではないだろうか、あるいはバーベキューとかもして夜には火を起こしてギターでも弾きながら恋愛話などをきゃっきゃするのではなかろうか、という光景がわたしの胸の奥の奥のところで貴重な琥珀のように凝っている。きっとこういった溌剌とした方々は、顔色の悪い、O脚猫背の声の低い女などが浜にさまよい出てきたら眉をひそめるに違いない。というかこういう方々でなくてもそんなやつはひそめざるを得ないだろうが、まあそういうことなのだ。わたしは、光の世界にゆきたいのである! そのためにはもはや痩身しかあるまい!
まあとにかくそういうことである。こんなことをワールドワイドウェブに上げることに何の意味があるのか。でもまあここはわたしのスペースなのだからどうしようとわたしの勝手である。

それからそれからこれは雑記なので話は容易に飛ぶが、わたしは日頃からとても肌に気を遣っているのだが最近非常にすばらしいクリームを発見したのである。その名も『セルケア 5G リバイタクリーム』。セルケアも5Gもリバイタも意味が分からないのだがとにかくすばらしいやつなのだ。ときにわたしは化粧品負けすることが多く、ここ数年はずっとフィットツインというとこの化粧水+ジェルがとても優秀なので使っているのだが、しかしちょっと乾燥するのでさらなるアイテムを求めていた。ここにこのセルケア野郎である。使用感とか書くのもめんどくさい、とにかく翌日肌はピカピカなのだよ! もちろん無臭だし無刺激だしケータイからなので画像とかURLとかはめんどいので検索してください。ちなみに洗顔料はアレッポの石鹸、日焼け止めはエンドジーナス。ここ数年ずーっとこれでまったく問題がない。化粧もフィットツインの下地にチャコットのパウダーで済ませている。安心して使える化粧品というのはほんとにすばらしものである。

そんで相変わらず本も読んでいて山尾悠子『ラピスラズリ』はよく分からなかった、ほんとに。西村賢太は五冊ほど読み、まあおもしろく、芥川賞つながりで読んだ朝吹真理子『流跡』は非常にうつくしく興味深かった。いまはゲーテ『ファウスト』、ユーゴー『レ・ミゼラブル』『死刑囚最後の日』を読んでいる。そしてミュシャやアーサー・ラッカムや山田章博の画集にうっとりしている。読むべき本は枕元にひしめいてなかなか減らない、しかしそのことの幸福! ともあれいろいろ興味の幅が出てきて地味ながらたのしき日々である。







# by miss-remiss | 2012-05-24 03:08 | 現実日記 | Comments(0)
詩人が踵をつけたところが
 詩人が踵をつけたところが黄金色に染め抜かれるのをじっと視ていた。水差しのなかのみずはまるで粘土のようで啜ることなんて出来やしない。真珠のような肌の獣が窓の外でいくつもいくつも、とびうおのように跳ねていてことしの夏を喜んでいるのが見える、しかしわたしの喇叭は錆び付いている。わたしの弦は、撥は、錆び付いている。いつからか。そのかわりに細い指から炎の出るようにしてもらった。ああ、あの青い技師はひどく優しいひとだが、その裏で何を考えているか分からない。道すがらひとりの貞操帯売りに出くわして、昨今は景気が悪くてねえと嘯かれるもわたしにそんなものは必要がない。わたしには脚だってないのだから。技師はきっときょうも優しくしてくれるだろう、脚のないわたしに。正常な楽器ひとつ、もってないわたしに。
# by miss-remiss | 2012-05-21 03:22 | 書いてつくる | Comments(0)
ひび/祖母
 祖母の庭から薔薇の枝を二本もらってきた。薔薇たちといったら古びた写真のうえにネイルエナメルをぽたぽた垂らしたみたいにあざやかで、路地に大きく腕を伸ばしている。祖父亡きいま、手入れしてくれる優しい腕を失った祖母の庭には未だ薔薇があり、紫陽花があり、カラーがあり、梅と柿がある。この世から空気一枚隔てた世界にいる祖母にとって、わたしたちよりも植物たちのほうがよほど大事なことばを掛けてくるらしい。
 祖母の脳みそはだんだん壊れてきている。
 祖母のことばからはどんどん意味がそぎ落とされてゆく。
 風呂場で転倒し体の右側に大きな痣を作った祖母にとっては、その痣は寝てる間にふいに沸いてきたものであるらしかったし、がたがた震えているのをデイサービスの先生がたに救急車で運んでもらったのだって、ちょっとしたお遊びに過ぎなかったらしい。一日おきに、すこぶる楽しみにしているデイサービスの場所もとうとう分からなくなって、雨にびしょ濡れになって横断歩道を渡っているところを警察に保護された。脳たりんの祖母。かつて祖母はわたしにスーパーファミコンを買い与え、みずからも無限1アップに励む女だった。書道師範代をもつ祖母は、いまでは先の割れた小筆でよろよろした字を書く。下手だとは言わない。そんなことは思ったこともない。ただ祖母はどんどん遠くに行ってしまう。
 居間で相撲を観ていたとき、ふいに祖母が「帰るよ」と叫んだのでわたしは悲しかった。それは〈ここに居たくない〉ということではないかと思ったから。あるいは〈ここは居心地が悪い〉かもしれないし〈いまとても退屈〉であるかもしれない、祖母の表現はほんとうはひどく直截的なのだが、凡人には婉曲したものに思えてしまうのだ。理解するにはこつがいる、つまりは莫迦になるということなのだが。ともあれ「帰るよ」という祖母の声が、薄汚れた居間に宙ぶらりんになっていたから、わたしはしばしそれを眺めていた。挙げ句「どこへ?」と問うと、祖母は一瞬まどろんだようになって、次いで照れ隠しのようにえへへと笑った。祖母はいまここにいない。ではどこにいるのだろう? 記憶の残滓めいた祖母の手をとって、几帳面に切られた爪にマニキュアを塗ってあげた。桃色の爪が増えてゆくたび祖母は徐々に覚醒してゆくようだった。だからこそわたしは、祖母を目覚めさせるためには、何が何でもきれいに塗ってしまわなくてはならなかった。やがて十本すべて塗り終えると、祖母は手の甲をこちらに向けて指をきちんと見せ「わたしこれ、ほんとうにいいなあ」と何度も言った。
 何度も何度もめぐる。祖母のことばは。祖母の一日は不自然に引き延ばされたみたいに長い。そして祖母の人生は巧く編集されたダイジェストみたいにいいとこどりだ。母の死、夫との出会い、まるまると太った子どもたち、上京、そして夫の死。簡潔すぎる人生。お伽噺のような人生。書いてしまうと余りに短い人生。しかし書けるだけましなのかもしれない。
 デイサービスに持ってゆくお帳面に、わたしはきょうの日のことをボールペンで書いた。曰く『今日は爪にマニキュアを塗りました。それから三人で近所のおそばを食べに行きました』。書けることがあるというのはいいことだ。わたしたちが訪わない日、祖母の帳面は白紙。つらつらと四行ほど書いたその日のページを見せると祖母はうっとりと何度も読み返して、何度もありがとうと言った。何度も。何度も。どれほど旨い料理より、どれほど素晴らしい旅行より、祖母はいま誰かと一緒に食事することを望んでいる。話を聞いてくれ、手をとって散歩してくれる優しい誰かを望んでいる。わたしたちとは違う。いやわたしたちだってかつてそうだった。そしていつかまたそうなるのだ。
 薔薇を入れたビニール袋を片手に家を出ると、祖母は扉から顔を半分だけ出していつまでもこちらを見ていた。そして「またおいでね」とこどものようにつぶやいた。




# by miss-remiss | 2012-05-19 02:02 | 現実日記 | Comments(0)


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